其之拾参〜恐怖の短絡思考〜
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個性の本質
“個性”という言葉があります。
近年特に重要視され、何かの宗教の如く個性、個性と叫ばれる世の中に暮らす皆さんの事ですから、この存在自体は今更触れる事も無いでしょう。が、果たしてその個性は本当に個性として成立していると言い切れるのでしょうか。
今回は私の身近にある音楽を例に取って、この個性を掘り下げてみる事にしましょう。
絶対的基準
私は、これ迄培った感性を基に音楽を選定し、より良い音楽を求めている筈です。その感性は私の中で絶対的基準となり、私を突き動かしています。
この絶対的基準は、勿論人夫々違うものです。その違いを加味すれば、絶対的基準は“個性”というより単純な言葉へ置換しても構わないでしょう。
只でさえ何をするにせよ個性だ個性だと、各々の意思が優先される時代。音楽もまた例外では無く、それによって判断されているという訳です。
嗜好の共有
所でこの個性は、何も個々で完全に違っているという訳ではありません。現に、私が今好きな音楽も、私以外の誰かもまた“良い曲だ”と思ってくれている人は必ずいます。端的に言ってしまえば“売れる”という事はそういう事なのです。
私は今迄この嗜好の共有を、アナログのみで行って来ました。恐らく、大部分の人がそうであった様に。ですが近年インターネットというデジタルな手段を通して、嗜好は全国の‥いえ、全世界の人達と共有出来る様になりました。そして私もそれを行っています。
実例を提示
所で皆さんは“mixiミュージック”というものをご存知でしょうか?
知らない人の為にざっと説明すると‥
・自分の今聴いている音楽をリスト化して配信
・曲毎に何時何回聴いたか解るデータベース
・曲のリンクからそれを聴く人を辿る事が可能
これらの機能を持った、mixiが提供するサービスの事です。簡単に言えば、mixiミュージックは嗜好の共有をデジタル上で実現したものです。
私もつい最近このシステムを知って以来、楽しく利用しています。が、そこで気になるものを見付けてしまいました。それは‥
mixi内でのランキング表示。画面はそのプリントスクリーンです。
この再生リストです。
ランキング
これは“Vanilla Ninja”というアーティストが歌う曲毎の再生回数をランキングとして示したものです。さて、このランキングの特徴は何でしょうか?
‥等と改まって問う迄も無く、どう見ても“Liar”と“Metal Queen”の再生回数が異常ですよね。文字通り、桁が違います。
確かに2曲とも、良い曲ではあります。ですが、ここ迄突出する程素晴らしい曲かと訊かれると、私は否と答えざるを得ないでしょう。では、一体この原因は何なのでしょうか?
短絡的思考
私が調べた所、その原因は“ゲームに起用された曲だから”でした。
“Liar”は“ギターフリークスV&ドラムマニアV”に、“Metal Queen”は“ギターフリークスV&ドラムマニアV2”に、夫々収録されているのです。
私はこの彼等のミーハー振りに愕然としました。いえ、ミーハー等と言ってはミーさんとハーさんに失礼でしょうから、“短絡思考振りに”と訂正しておきましょう。兎に角彼等は、そんな下らない理由で再生し続けているのです。
こんな言い方をすると“これも個性だ”と反論を受けそうですが、それが果たして本当に個性と呼べるものなのでしょうか。いよいよ今回の本論です。
再生回数が1000回も他と差が付いているという事は、明らかにそれだけループ再生した者がいるという事です。しかもそれは、決して1人や2人ではありませんよね。
“ゲームに起用されたからループ再生した”という安直な行動。本人達は良い曲だと思って聴いているのかも知れませんが、客観的に理由付けをするとそうなってしまいます。
千回の意味
こんなものが個性と呼べるのでしょうか。
恐らくこの論調でこんな事を書けば、1000回聴いた人達はディスプレイの向こうで私に腹を立てているでしょうが、その人達の個性は明らかに操作された個性です。そして、個性が絶対的判断基準である以上、これは否定されて当然だと発展させる事も出来ます。
そもそも、彼等は個性でこの2曲が良いと判断して聴いている筈が無いのです。もし“Black Symphony”が“ギターフリークスV&ドラムマニアV3”に起用されれば、彼等はその再生回数を1000回増やす事は目に見えているのですから。
勿論、ゲームが切っ掛けでこのアーティストを知り、気に入った結果聴いているのなら構いません。切っ掛けは何であれ“気に入った”と判断したのは自らの個性なのですからね。ですが、もしそうなら再生回数は突出せずに、平均的に上昇する筈です。
個の画一化
数字は残酷です。短絡思考の持ち主を露骨に表示します。
私は初見した時、これはネタだと思いました。元々mixiミュージックには“般若心経”というネタがある程ですからね。でも本例は、ネタにしては数字が現実的過ぎます。そう、これは現実なのです。
画一化された個性‥それは最早個性では無く統制です。しかも性質の悪い事に、この統制は受ける側が全く気付かないものなのです。
所詮夢物語
さて、その対象には当然私も含まれている筈です。私の個性も、例外無く“自覚の無い統制”を受けている事でしょう。
そう考えた時、完全な個性等はそもそも妄想であり幻想である‥所詮空中楼閣に過ぎないものだと、結論付ける他無い様な気がします。“こうだ”と断言出来無いのは、この判断も自覚の無い統制によって生み出されたものである可能性があるからです。
私が採り上げたmixiミュージックの例はそれが偶々顕在化しただけの事であり、意識下にはそれが無数に潜んでいる筈です。
多角的分析
個性をより理想へ近付ける為には、手段を増やす必要があると思います。
今回デジタルデータを介する事で1つの統制が露呈した様に、手段を増やして多角的に物事を分析出来る様な環境を造り上げる事こそが、個性を唱える者達のすべき事では無いでしょうか。
現段階ではこれを、取り敢えずの落とし所としておきましょうか。
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